「社会人ですが、今から音大を受験できますか?」

結論から申し上げます。可能です。 音楽大学に年齢制限はなく、実際に社会人から入学し、立派に卒業していく方はいます。私の知人にも、医師として働きながら音楽大学の大学院で学び、見事に修了された方がいます。人生の先輩でもあるその方の姿は、「本気であれば道はある」ことの何よりの証明でした。

ただし、綺麗事は言いません。社会人受験には、学生の受験とは違う現実的なハードルがあります。この記事では、可能性と現実の両方を、受験指導を行う立場から正直にお伝えします。

最初に向き合うべき問い:「合格後」の生活は成立するか

意外に思われるかもしれませんが、社会人受験で最初に考えるべきは、受験勉強のことではありません。合格した後、大学に通う生活が成立するかです。

音楽大学の学びは、実技レッスン、アンサンブル、合奏、講義と、平日の日中に組まれています。会社員で時間に融通が利かない場合、働きながら通学するのは正直、難しいケースが多いのが現実です。

だからこそ、受験を決める前に選択肢を整理する必要があります。休職や退職をして通うのか。時間の裁量がある働き方に移るのか。あるいは、学位にこだわらず、ハイレベルな個人レッスンで音大水準の内容を学ぶという道もあります(実は、この選択をされる社会人の方は少なくありません)。

先ほどの医師の方のように両立を果たした例もありますが、それは相当の覚悟と、時間をコントロールできる働き方があってのことです。ご自身の状況でどの道が現実的か——ここが最初の分岐点です。

実技試験は「練習時間がものを言う」世界

次に、受験そのものの話です。社会人受験の最大の敵は、才能でも年齢でもなく、時間です。

はっきり言います。実技試験は練習時間がものを言います。 音大受験の実技課題(ソナタ、エチュードなど)を試験水準に仕上げるには、日々まとまった練習時間の確保が必須です。仕事のある平日にどれだけ捻出できるか、週末をどう使うか——受験計画は、練習時間の設計から始まります。

ただし、社会人には学生にない武器もあります。目的意識の明確さ、計画を実行する自己管理能力、そして「なぜこの曲をこう弾くのか」を理解する知性。限られた時間を、学生の何倍も濃く使える方を、私は何人も見てきました。時間の絶対量のハンデは、練習の質の設計である程度まで埋められます。

実技以外の科目を甘く見ない

社会人受験でつまずきやすいのが、実技以外の科目——ソルフェージュ(聴音・新曲視唱)と楽典です。

ピアノは長年弾いてきたけれど、聴音は一度もやったことがない、という社会人の方は非常に多い。そしてソルフェージュは、短期間の詰め込みが効きにくい科目です。毎日少しずつの訓練でしか伸びません。

私自身、高校生までソルフェージュ未経験のまま高3の夏に受験を決め、レッスンと市販教材の毎日の自習でなんとか間に合わせた経験があります(その実体験はこちらの記事に詳しく書きました)。断言できるのは、ソルフェージュは才能ではなく訓練だということ。そして、始めるのが早いほど楽だということです。受験を少しでも考えているなら、ソルフェージュだけは今日から始めてください。

社会人受験の現実的なロードマップ

まとめとして、社会人からの音大受験を目指す場合の標準的な流れをご紹介します。

フェーズ0(受験の1年半〜2年前):進路設計。合格後の生活をどう成立させるかを決める。志望校の候補を絞り、募集要項で試験科目を確認。

フェーズ1(1年〜1年半前):受験指導のできる先生につく。実技の選曲、ソルフェージュの毎日訓練を開始。ここが一番大事な時期です。

フェーズ2(半年〜1年前):志望校の講習会に参加し、大学の先生のレッスンを受ける。可能であれば志望校の教授に事前に見ていただく——これは音大受験では王道のプロセスです。

フェーズ3(直前期):実技課題の仕上げ、楽典の総復習、本番を想定した通し練習。

このうち独力で進めにくいのがフェーズ1と2です。特に「志望校の先生とどう接点を作るか」は、業界の内側を知らないと動きようがありません。当教室では、受験をお考えの方に音大教授のご紹介を行っており、ソルフェージュのレッスンにも対応しています。音大合格実績(洗足学園音楽大学)もあります。

社会人からの音大受験は、楽な道ではありません。しかし、医師として働きながら大学院を修了された方がいるように、本気の設計があれば届く道です。まずはあなたの状況を伺いながら、どの道が現実的かを一緒に考えるところから始めましょう。

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執筆者ポートレート
執筆:小倉裕貴
ヒナステラ国際協会理事・東京支部長。ピアラ国際ピアノコンクール入賞、ヒナステラ国際コンクール ヒナステラ特別賞。イタリアのオーケストラとピアノ協奏曲を共演。